リスクの表現としての期待値:後編【産業保安のけいざい学】 by 牧野 良次

さんぽコラム 産業保安のけいざい学
リスクの表現としての期待値:後編
牧野良次

投稿日:2017年08月17日 17時00分

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前回のコラムでのアンケート調査の復習

コイン裏表、あなたは賭ける?
  • 表が出たら1億円取られる(1億円の借金を背負う)
  • 裏が出たら2億円もらえる

このコインにはゆがみはないとします。つまり表が出る確率は50%、裏が出る確率も50%です。

【質問1】もし、上記の賭けに「1回限り」挑戦できるとしたら、皆さんどうですか?チャレンジしますか?

【質問2】次は設定を少し変えてみます。上記のコインでの賭けを「1万回繰り返す」としたらどうでしょうか?1万回繰り返して、1万回目のコイン投げが終わった後の累積賞金額が、あなたが手にすることのできる金額となります。皆さんどうですか?もしこの「1万回繰り返す賭け」に挑戦できるとしたら、チャレンジしますか?

質問について、私の意見

 まず私の考えを述べます。「1回限りの賭け」ですが、私ならやりません。もし表が出たとしたら?そのとき1億円取られます。借金を背負います。私にとってこれは痛過ぎます。この「痛さ」が、2億円もらえるかもしれないという魅力を上回っています。ただこれは私がそう感じたというだけで、2億円をゲットできる可能性に賭けるという人もいるでしょう。これは良いとか悪い、あるいは正しいとか間違っている、といった話ではありません。世の中には色々な性格の人たちが存在するというだけのことです。

 一方「1万回繰り返す」ならば私は絶対にやります。コインを1万回投げたら表はほぼ5千回出ます。借金ほぼ5千億円です。一方で裏もほぼ5千回出ます。ほぼ1兆円ゲットです。差し引きするとほぼ5千億円もらうことができます。誤差はあるにしても間違いなく5千億円程度のプラスが出ます。この賭けであれば、もはやチャレンジすることが「(獲得金額の多寡という基準において)正しい」と言っても過言ではないでしょう。

 なお、表と裏がほぼ5千回ずつ出るというのは「大数の法則」というやつです。私はコインを1万回投げたことはないですが、表と裏がほぼ5千回ずつ出ることを、太陽は明日も東から昇るのと同じくらいに信じています。

大数の法則
 大数の法則は、ある事象が発生する実験又は観測(試行)を同じ条件で独立に何度も繰り返した場合に、収束していく割合(相対度数)を経験的確率(統計的確率)といい、試行の回数を増やしたときにその相対度数が一定の確率に近づく現象をいいます。例えば、画像はコイン投げの実験を行ったときに、コインを投げた回数を横軸、表が出た割合を縦軸に取ったシミュレーションの結果です。2つの折れ線は、異なる実験の結果を示しています。これをみると、投げた回数が少ないときは、両実験において、表の出る割合はばらついていますが、回数が多くなるにつれて割合がある一定の値(この場合は表と裏が出る確率は等しいので0.5)に近づいています。

出典:総務省統計局ホームページ「なるほど統計学園高等部」より

アンケートの結果発表!

 さて前回コラムでのアンケートの結果を発表いたします。およそ1ヶ月の間に20名の方にご回答いただきました。ご協力ありがとうございました。結果を以下に示します。どうやら私と同意見の方が多かったようですね。

  チャレンジする チャレンジしない
【質問1】1回限り挑戦 3名(15%) 17名(85%)
【質問2】1万回繰り返す 17名(85%) 3名(15%)

期待値とは

 さて、期待値というやつがあります。前回も書きましたが、確率を加重に使った加重平均のことです。いま我々が問題にしているコインによる賭けの場合、0.5×マイナス1億円+0.5×プラス2億円=プラス5千万円となります。よってこの賭けを1回行った結果受け取る金額の「期待値」はプラス5千万円です。「平均的には」儲かるということです。それを聞いて「ああ、プラスの期待値だから、一回限りであってもこの賭けに挑戦しようか。だって期待値はプラスだからね」と思うでしょうか?繰り返しますが私ならそう思いません。アンケート結果を見ますと、多くの回答者の方々もそうは思っていないようです。

この違和感は何?

 期待値はプラス。つまり平均的には儲かる。でもこの賭けはやりたくない。何か変な感じがしませんか。違和感がありませんか?この期待値というのはいったい何なのでしょうか?

 改めて、これまで考えてきた1万回コインを投げてほぼ間違いなく5千億円を得るという数値例を考えてみます。5千億円をコイン投げの回数1万回で割ると5千万円です。つまり一般的に言うと、「かなり多数回賭けをした場合のアタリハズレの総額を、賭け1回あたりに平均化すれば期待値になる」ということです。当たり前ですが「1回限り賭けをした場合に平均的に5千万円当たる」という意味ではありません(というか、意味不明ですね)。1回賭けるときはマイナス1億かプラス2億かのどちらかであって、プラス5千万円という数字が現れてくる余地はありません。

前提をよく吟味する必要がある

 1回限りの賭けのような状況の場合よりも、1万回賭けができるというような繰り返しが可能な状況において、期待値の利用価値が高いものと思います。

 ただ、「繰り返しが可能」という条件だけでは弱いと思います。例えば上のコインによる賭けの例で、賭けをする時間間隔が1年だったらどうでしょう?最初の賭けで表が出て1億円の借金を背負ったとします。次の賭けまでに1年間あります。その1年間で資金繰りが回らなくなるかもしれません。そうなると倒産です。たとえ繰り返し可能な賭けであって、かつ期待値がプラスであったとしても、賭けの各回レベルでの負けが直ちには破綻に繋がらないだけの「体力」をもっている必要がありそうです。

まとめ

 「期待値がプラスだから、いいね」というのはそう単純に言えることではないだろう、というのがこのコラムで申し上げたいことです。実際、1回限りのコイン賭けをやりたいと思う人はそんなに多くはないと思います。少なくとも、1万回繰り返せる賭けと比較すればチャレンジするかどうか悩みはするでしょう。期待値がプラスで賭け回数が1万回ならほぼ間違いなく総額で利益が出ます。しかし各回レベルの賭けで借金を背負ったときに倒産しない程度には賭け頻度が高いという条件が(状況によってはその他の色々な条件が)必要と思われます。

 リスクの問題は確率を考えますから、数値計算しようとするなら自然な発想として期待値を考えたくなります。ただ、シチュエーションに応じて期待値として計算した数値が具体的に何を表現しているものなのか、それが現実の意思決定にどう役に立つのか、考えてみる必要があります。

牧野 良次 / Ryoji MAKINO,Ph.D

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 主任研究員
「さんぽのひろば」編集長

産総研研究員なのに経済屋という変わりダネです。安全対策の経済的効果や社会的評価の定量化に関心があります。
出身地:愛媛県新居浜市(ただし上部)