事故は企業価値を低下させる(ことがある)−その1【産業保安のけいざい学】 by 牧野 良次
さんぽコラム 産業保安のけいざい学
事故は企業価値を低下させる(ことがある)−その1
牧野良次
投稿日:2018年10月25日 15時00分
ご無沙汰しておりました。さんぽのひろば編集長の牧野良次です。実はこの1年間、産業技術総合研究所内の他部署に異動していて研究の現場を離れていたのですが、2018年10月1日付けで安全科学研究部門に戻って参りました。ということで今後はこの「産業保安けいざい学」も定期的にお届けしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
企業価値とは?
1年以上ぶりの本コラムですが、今回は事故と「企業価値」の低下との関連について2回に分けてお話ししてみたいと思います。
事故が起きれば、装置・設備の喪失、それにともなう生産能力の低下、プラント再建に関連する出費・・・などなどが生じる結果として「企業価値」が低下するものと考えられます。
ここで改めて、企業価値とは何でしょうか?非常に大雑把にいうと、経済学では企業が将来にわたって稼ぎ出す予想利益額の合計が企業価値であると考えます。ただし、今日お金を銀行に預けたら1年後には利子の分だけ増えているのとちょうど逆に、将来稼ぎ出されるはずのお金を今日時点で評価するためには利子に相当する部分を割り引いて考える必要があります。そしてその企業価値は株式市場において投資家(彼らはあらゆる手を尽くして企業の将来業績を予想していることでしょう)が株を売買した結果として、株式時価総額に反映されていると考えられます。
ある企業で爆発・火災といった大きな事故が起きたとしましょう。そして事故があった翌日、その企業の株価が「ぐっと下がった」とします。もし事故が起きていなければそんなに下がらなかったはずなのに、事故が起きた後にぐっと下がったのならば、その下がった分は事故による企業価値の低下を表していると考えていいでしょう。
下の図は死亡・重傷を伴う3件の爆発・火災事故について、事故当日(あるいは事故当日の翌営業日)を中心に前後各3日間、合計7日間の実際の株価の動きを示したものです(データはYahoo!ファイナンスから取得)。縦軸は株価終値、横軸は事故当日を中心とした日付です。事故当日、株価の下落が見られます。
事故による企業価値低下の推定 – ラフアイデア
さて「ぐっと下がった」その低下分をフォーマルに定量化する方法として、(1)仮に事故が起きていなければこのくらいになっていたであろう株価の推定値と、(2)実際に事故が起きてしまった後の株価の実測値との差を用いて推定する方法が考えられます。事故が起きたせいで落ちなくてもよかった株価がどのくらい落ちてしまったのか?という考え方で定量化するわけですね。(2)は事故後の株価を実際に観察すればそれでOKですから、結局(1)の値をいかに推定するかが問題となります。次節ではその推定方法について述べます。
マーケットモデル
さて各企業の株価の動きはおおむね市場平均(日本で言えば日経平均株価)の動きと連動していると考えられています。もちろん各企業銘柄に特有の動きはあるものの、それは確率的な変動であると捉えます(これをマーケットモデルという)。
銘柄iの株価の、時刻t-1からtにかけての変化率をRi,t、市場平均株価の変化率をRm,t、銘柄iの株価の時刻tにおける確率的変動をei,tとしてマーケットモデルを式で書けば以下のようになります。
Ri,t = α + βRm,t + ei,t
つまり、ある銘柄の変動を市場平均と連動している変動であるβRm,tと銘柄独自の変動であるei,tに分けたということです。ここでαとβは定数のパラメータで、株式市場で実際に観察されるRi,tとRm,tから推定することになります。
さて特に何事もなく安定的な企業経営がなされているとき、銘柄独自の変動であるei,tはプラスになったりマイナスになったり変化しながらも、日々の変化量自体はそれほど大きくないでしょう。しかし事故が起きてしまったら、銘柄独自の変動であるei,tは誤差の範囲とはとても思えないほどの幅で低下することが想像されるでしょう。マーケットモデルでは、ある企業で実際に発生した事故の前後での株価変化率実績値を統計分析することによって事故の後ei,tがどの程度落ち込んだかを定量化します。これがまさに事故による企業価値の低下を表現することになります。
次回は、過去に日本で起きたいくつかの事故をマーケットモデルで分析した例を紹介します。
※次回更新は2018年11月中旬を予定しています。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 主任研究員
国立大学法人島根大学 客員教授
慶應義塾大学 講師(非常勤)
「さんぽのひろば」編集長
産総研研究員なのに経済屋という変わりダネです。安全対策の経済的効果や社会的評価の定量化に関心があります。
出身地:愛媛県新居浜市(ただし上部)