労働災害と酸素欠乏症【Dating Chemistry 人と化学のランデヴー】by 若倉正英

さんぽコラム Dating Chemistry 人と化学のランデヴー
労働災害と酸素欠乏症
若倉正英

投稿日:2017年08月03日 10時00分

 我が国の労働災害は地道な安全活動や機器設備の本質安全化などにより減少し続けている。平成27年には死亡災害の発生件数が、厚生労働省が統計を取り始めて以来初めて1,000名を下まわったということである。

平成27年の労働災害発生状況を公表 – 厚生労働省 報道発表資料(2016年5月17日)

 死亡者の発生する労働災害は高所からの墜落・転落(25%)、交通事故(19%)、はさまれ・巻き込まれ(13%)などに集中している。一方、酸欠や硫化水素、一酸化炭素などによる事故は従事する人が少ないことを考えると事故リスクとして軽視できない。平成元年から261件の酸欠事故が発生し、死者の数は176に名に上る。同じく平成元年以降の硫化水素による労働災害は92件で、死者は66名であった。

 これらの事故で特筆すべきは、死亡率の高さである。酸素欠乏事故では被災者の47%が死亡していた。硫化水素でも致死率は40%を超えている。全ての労働災害をみると、被災者に対する死亡者の割合は0.08%程度であり、酸素欠乏症や硫化水素中毒がいかに恐ろしい災害かが理解されると思う。
 なお、一酸化炭素中毒の発生数もきわめて多いが、原因を一酸化炭素と特定できず、酸素欠乏に分類されることもあって、労働統計としては明示されていない。一方、一酸化炭素中毒は家庭での暖房器具や厨房器具の不完全燃焼での事故が多く、公益財団法人日本中毒情報センターによると、その死者は年間2,000名にもなるという。

 これらの災害がなぜ恐ろしいのか。人間が最も酸素を使うのは脳であり、酸素欠乏空気も硫化水素、一酸化炭素など吸入すると脳への酸素供給が妨げられる。脳に酸素が届かないと、数分で小脳機能が停止し、声を出したり、逃げ出すことができなくなってしまう。そして、大脳機能の停止によって命さえもが奪われるのである。

 1963年に福岡県の三井三池炭鉱で発生した炭塵爆発では、発生した一酸化炭素により800名以上が死亡し、生還した多くの作業者も大脳細胞の損傷で植物人間となってしまったという。

炭鉱における火薬装填中の起爆事故 – RISCAD(1963年7月24日)

 酸欠空気、硫化水素、一酸化炭素はいずれも目に見えないこと、酸素欠乏空気や一酸化炭素は何の匂いもしないこと、硫化水素は硫黄温泉独特の卵の腐ったような臭気があるが、危険な濃度になると臭神経が麻痺してにおいを感じなくなるという特性がある。つまり、サイレントポイズン(日本中毒情報センター 沈黙の毒物)というわけである。

一酸化炭素
卓上カセットコンロ用ガス – 公益財団法人 日本中毒情報センター 保健師・薬剤師・看護師向け中毒情報データベース
一酸化炭素 – 公益財団法人 日本中毒情報センター 医師向け中毒情報

硫化水素
硫化水素による中毒事故について – 公益財団法人 日本中毒情報センター
硫化水素 – 公益財団法人 日本中毒情報センター 医師向け中毒情報

酸素欠乏
「酸素欠乏」 – (公益財団法人 日本中毒情報センター内 Google検索

若倉 正英 / Masahide WAKAKURA

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 客員研究員
特定非営利活動法人 安全工学会 保安力向上センター センター長

産総研での事故分析や保安力の評価などに従事。モットーは、”遊びと仕事の両立”。