未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える【産業保安インサイド
第8回】by 若倉正英

さんぽコラム 産業保安インサイド 第8回/全15回
未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える
若倉正英

投稿日:2011年04月08日|更新日:2017年06月15日 10時00分

 3月11日の東日本大震災での津波のすさまじさは,被害に遭われた方々はむろんのこと,多くの日本人が大きな衝撃と悲しみを受けた。

 我々が見聞きしたこれまでの災害との大きな相違は,多くの町や村が全滅するといった被害の甚大さに加えて,被災地域の広さや地域行政機関,交通網の壊滅に伴う情報伝達の喪失である。大災害では状況把握が救援のための最重要課題であるといわれる。事故当日の段階では,マスコミがこのような巨大災害に対応する心構えや準備ができていなかったように感じられた。たとえば,発災当初から同じ津波のフィルムを何度も放送し,当初はあまり意味のない被災者数や倒壊家屋数などといった被害の数値の報道に,多くの時間を割いていた。災害発生初期に放送すべきことは,どのような危険が迫っているか,どのように危険を回避すべきなのかについて全力をあげるべきではなかったか。

 2日目には各社が競って被災現場や避難所に到達したが,提供された情報は,被災した人たちの救援に十分に生かせただろうか。生存者が取り残され孤立した場所が多数あるといいながら,比較的到着しやすい場所に取材が集まっているように感じられた。阪神淡路大地震でも,同じような理由で特定の避難所への取材の集中が指摘されたことを思い出す。報道機関が多くの機材やヘリコプターを投入している状況をみると,その機能を間接的であっても救援に使えないものかと,もどかしく感じている人は少なくないだろう。

 3日目には報道の相反する面が見えた。一面は被災者の困窮状態や要望に対する比較的丁寧な実態報道である。これには,阪神大災害の教訓が生きていると思われる。もう一面は,視聴率を意識した放映である。たとえば,悲惨な現場や津波の放映の繰り返しや,家族を亡くした方へのインタビューである。特に被災者インタビューではそんなことを聞く目的は何なんだ,と怒りすら覚える。悲嘆に暮れながらけなげに答えていた生存者を傷つけるだけではなく,同じような境遇のたくさんの人達の心の傷を深くえぐっていることにしかならない。”真実を伝えるのが報道の使命”とは言わせたくない。

 5日を過ぎると被災地の状況や必要とされる物品などへの,よりきめ細かい取材がみられる。一方,せっかく集められテレビ画面から流された情報が,被災者への救援に十分に生かされているとは言い難い。報道機関がこれらの情報を統合管理し,被災に対応している行政へ一定のルートで提供すれば相当役に立つのではないかと感じる。

 7日目,避難施設での寒さ対策など,健康や心のケアに関する具体的な報道が増え始めている。しかし,被災地の多くに情報が届いていない状況では,この情報提供はかなり自己満足の気味がある。報道の責任として情報が必要なところに届くための努力が求められる。救援やケアに関する情報をヘリコプターで配布するなど,工夫はいくらでもできるのではないだろうか。

 近代日本が始めて経験したこの大災害に対して,マスコミだけでなくあらゆる組織や機関そして個人が,組織の既存の機能や役割に縛られず”いかに被災者に,そして日本としての息の長い復興に役立にたつか”を知恵や想像力を総動員して考える必要があるだろう。

※このコラムは2009-2013年にリレーショナル化学災害データベース(RISCAD)サイトにて掲載されたコラムを再掲したものです(コラム内の情報は掲載当時のものです)。

さんぽコラム 産業保安インサイド 全15回

第1回 「化学安全と難波先生」
第2回 「産業における安全文化」
第3回 「災害報道と原因の探求」
第4回 「化学安全における経営層の役割」
第5回 「えっ!しらないの?」
第6回 「事故事例は役に立つのか?」
第7回 「改善は安全に」
▶第8回 「未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える」
第9回 「震災で考えたこと:事故からは成功体験も学びたい」
第10回 「モラルはなぜ生まれたのか」
第11回 「埋もれてしまった報道情報を知りたい」
第12回 「災害の記憶をどう語り継げばよいのだろう」
第13回 「ほめるか しかるか」
第14回 「社長と安全」
第15回 「炭鉱事故と救護隊」

若倉 正英 / Masahide WAKAKURA

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 客員研究員
安全工学会保安力向上センター・センター長

産総研での事故分析や保安力の評価などに従事。モットーは、”遊びと仕事の両立”。