社長と安全【産業保安インサイド 第14回】by 若倉正英

さんぽコラム 産業保安インサイド 第14回/全15回
社長と安全
若倉正英

投稿日:2012年09月28日|更新日:2017年06月15日 10時00分

 3月11日の東日本大震災のあと,国の安全関連研究予算の増加や安全をキーワードにした書籍の売れいきがよいことなどから,日本全体が安全への高い関心を維持していることが感じられる。とくに,福島原発の経緯は,企業の経営層に大きなインパクトを与えたといわれる。このコラムでも以前,英国石油テキサス製油所の火災などを契機に重視され始めた,産業安全に対する経営層の役割についての国際的な動向を紹介した。

 安全工学会が石油化学の社長さん達との対話を始めたのは,震災前の2010年であった。その目的は化学産業の経営者が,製造現場の安全に果たすべき役割をガイドラインとして整備することであった。安全工学会の小野峰男前会長(丸善石油化学(株)元社長)はガイドライン作成の趣旨を次のように述べられている。「社長が会社の活動の全てに責任を持つのは当然だが,どの会社も組織上安全の総責任者を置き責任と権限を委譲している。しかし,業務分掌ではカバーしきれない曖昧な部分があり,この隙間を円滑に埋めることが社長に求められる。この考え方に立って社長の行動指針を作成した」。行動指針の議論には,石油化学会社の数多くの社長,会長が参加されたということであった。この「社長の安全懇談会」の活発な意見交換を受けて,「安全担当役員の安全対話」,「事業所長の安全検討会」が継続的に実施されることとなった。

 今,産業技術総合研究所は安全工学会と連携して,企業自らが自己の安全レベルを評価し弱点を改善する仕組みである”保安力評価システム”の構築を行っている。このシステムについて産業界の理解をいただくために,石油化学の大手十数社の社長さんを訪問した。皆さん安全の確保に関しては前向きで,提言やコメントを頂戴した。印象に残ったコメントを紹介したい。

・安全は第1という順番の話ではなく,企業存続のための最優先事項であると考えている社長さんが複数人おられた。

・技術系の学生の大部分は研究指向で,現場を希望するものが少ない。産学が共同で学生に現場経験をさせる場の創成や,(学にお願いするのではなく)企業主体で共同研究をつくっていく必要がある。大学だけではなくアカデミア全体との連携は重要である。

・若い人は修羅場経験が少なく,また,設備もコンピュータ制御で安全装置が多いため,プラントが危険だという実感がない。

・管理値による管理が中心となってしまって,本質を考えなくなってきた。

・若い人達の収入や昇進への意欲は低下しているが,社会的な貢献(ボランティア)への関心が高い。このことは経営者として考えるべき点かもしれない。

 経営層の安全への関心は,経営者が震災から事故による損害の大きさを実感したというだけではなく,企業の社会的価値が企業の存続に大きな意味を持つと感じ始めていることによるのではないだろうか。一方,若者の感性が変わりつつある今,経営者の本気度とそれが現場にうまく伝わる仕組みがなければ,せっかく培われてきた現場の力が衰退してしまう恐れがなくはない。

※このコラムは2009-2013年にリレーショナル化学災害データベース(RISCAD)サイトにて掲載されたコラムを再掲したものです(コラム内の情報は掲載当時のものです)。

さんぽコラム 産業保安インサイド 全15回

第1回 「化学安全と難波先生」
第2回 「産業における安全文化」
第3回 「災害報道と原因の探求」
第4回 「化学安全における経営層の役割」
第5回 「えっ!しらないの?」
第6回 「事故事例は役に立つのか?」
第7回 「改善は安全に」
第8回 「未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える」
第9回 「震災で考えたこと:事故からは成功体験も学びたい」
第10回 「モラルはなぜ生まれたのか」
第11回 「埋もれてしまった報道情報を知りたい」
第12回 「災害の記憶をどう語り継げばよいのだろう」
第13回 「ほめるか しかるか」
▶第14回 「社長と安全」
第15回 「炭鉱事故と救護隊」

若倉 正英 / Masahide WAKAKURA

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 客員研究員
安全工学会保安力向上センター・センター長

産総研での事故分析や保安力の評価などに従事。モットーは、”遊びと仕事の両立”。