モラルはなぜ生まれたのか【産業保安インサイド
第10回】by 若倉正英
さんぽコラム 産業保安インサイド 第10回/全15回
モラルはなぜ生まれたのか
若倉正英
投稿日:2011年09月30日|更新日:2017年06月15日 10時00分
風評におびえて,福島の煙火工場でつくられた花火の打ち上げに反対した日進町市民や,震災で倒れた木からつくった薪を燃やすことに反発した京都市民のニュースが踊っていた。数十人の声に押されてイベントを中止した主催者を含めて,彼らが傷つけたのは東北の人たちだけではない。被災地に心から同情している多くの善良な地元の人たちの人格を傷つけ,町の名誉を損なったのである。おびえた市民ばかりを責めることはできない。安心の大本である適切な情報の提供を怠り,風評が生じるような状況を作った行政や電力会社の責任は,きわめて大きいことは言うまでもない。
京都大学霊長類研究所などで知られる猿学という動物生態学がある。猿学の最大の目的は人間を知ることにあるといわれる。「利己的なサル,他人を思いやるサル」(フランス・ドウ・ヴァール著,草思社刊)は震災に揺れる日本人にとって興味深い一冊である。原題は「GOOD NATURED : The origins of Right and Wrong in Humans and Other Animals」で,この方が内容を良く表しているように思われる。
ドウ・ヴァールはオランダが生んだ動物行動学の鬼才といわれている。長くチンパンジーなど霊長類や他の動物たちの,人間的といわれる(人間のみの持つ特性と自負されている)行為を観察し,時には献身的であり時にはエゴイストになる人間の原型を彼らに見いだしている。
結論の部分を一部引用する。
「チンパンジーは攻撃を受けたものを優しくなでたり,腹を空かせた仲間と食べ物を分け合ったりする。また,人間も泣いている子を抱き上げたり,恵まれない人に食事を出すボランティアをする。チンパンジーの行動は本能に基づいていて,人間のほうは道徳的な配慮の表れだとするのは,おそらく間違っている。人間以外の動物を”道徳的な生き物”と呼ぶのはためらわれるが,人間の道徳性の底に流れる感情や認知能力の多くは,人類が地球上に存在する前から存在していたものである」,「一方,同じ種の弱者を攻撃,搾取するような利己的な行為も人間を含めた霊長類全体によくみられる」。それに対して,道徳性は進化するものであろうか。著者は多くのチンパンジーグループの観察から,「集団の助け合いが食物を手に入れ,敵から身を守ることに有利に働く場合などを,チンパンジー社会の道徳性進化の条件として挙げている」。
未曾有の大震災や放射能の汚染は,日本人全体に降りかかった大きなプレッシャーである。猿学の視点から見ると,このプレッシャーは日本人にとって,集団の助け合い(利他的行動)という道徳性を向上させる,良い機会であるといえるのではないだろうか。
※このコラムは2009-2013年にリレーショナル化学災害データベース(RISCAD)サイトにて掲載されたコラムを再掲したものです(コラム内の情報は掲載当時のものです)。
さんぽコラム 産業保安インサイド 全15回
第1回 「化学安全と難波先生」
第2回 「産業における安全文化」
第3回 「災害報道と原因の探求」
第4回 「化学安全における経営層の役割」
第5回 「えっ!しらないの?」
第6回 「事故事例は役に立つのか?」
第7回 「改善は安全に」
第8回 「未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える」
第9回 「震災で考えたこと:事故からは成功体験も学びたい」
▶第10回 「モラルはなぜ生まれたのか」
第11回 「埋もれてしまった報道情報を知りたい」
第12回 「災害の記憶をどう語り継げばよいのだろう」
第13回 「ほめるか しかるか」
第14回 「社長と安全」
第15回 「炭鉱事故と救護隊」
国立研究開発法人 産業技術総合研究所・客員研究員
安全工学会保安力向上センター・センター長
産総研での事故分析や保安力の評価などに従事。モットーは、”遊びと仕事の両立”。