えっ!知らないの?【産業保安インサイド
第5回】by 若倉正英

さんぽコラム 産業保安インサイド 第5回/全15回
えっ!知らないの?
若倉正英

投稿日:2010年06月30日|更新日:2017年06月15日 10時00分

 映画やテレビドラマの話をしていて,俳優の名前がどうしても出なかったという経験はないだろうか。年齢も国籍も違う人たちと食事をする機会があり,フランシス・コッポラの代表作”ゴッド・ファーザー”の話になった。ところが,そろって”ほおに含み綿を詰めたあの俳優”ということまで知っているのに,名前が出てこない。ひとりが携帯電話のwebサイトを検索し,マーロンブランドの名前を探し出して,妙にすっきりしたのだった。その後,日本人俳優の名前当てに移り,三船敏郎,高倉健,八千草薫などなど,結構思い出してちょっと安心したのだけれど,隣で飲んでいた大学生グループに,高倉健を知っているかと尋ねると,知らないという。最初は驚いたけれど,”健さん”もずいぶんテレビにも登場しないし,古い映画のDVDなど特に見たいとも思わないのだろう。そうであれば,名前を知らなくても当然なのだ。自分たちの常識は時代を超えて引き次がれていると思ってしまうのだろうが,情報の大きさや深さは,その伝承とは直接関係ないのである。

 同じことが安全についてもいえるように思われる。大事故の原因となった物質や工程でも,長年事故がないと個人でも管理運営に携わる組織でも,その危険性に対する感覚が鈍くなってくる。特に,安全の専門家の少ない研究所や大学などでは“そんなことも知らなかったのか”と思わせるような事故が少なくない。しかし,事故を起こした当事者を責めることはできない。先輩にとって当然知っているはずのことでも,教えられなければ危険性を認識できない。また,教えたとしても,怖さをしっかりとすり込まなければ,生きた知識になり得ない。どこの国でも事故事例の講習会は人気が高いと聞くが,これも,事例を通して危機認識をもたせたいという思惑があるからだろう。しかし,事故事例を安全感性アップの道具とするには,事故が起きた状況を自身の経験と重ね合わせて伝達できる人が必要であり,ベテランの減少は事故の経験を生かすといったことにも影響し始めている。

 RISCADは単に事故の情報を提供するだけではなく,“現場力”の維持・強化のためのPFA(Progress Flow Analysis)という新しい試みによって,ベテラン技術者の経験を付加したデータベースを目指しています。

※このコラムは2009-2013年にリレーショナル化学災害データベース(RISCAD)サイトにて掲載されたコラムを再掲したものです(コラム内の情報は掲載当時のものです)。

さんぽコラム 産業保安インサイド 全15回

第1回 「化学安全と難波先生」
第2回 「産業における安全文化」
第3回 「災害報道と原因の探求」
第4回 「化学安全における経営層の役割」
▶第5回 「えっ!しらないの?」
第6回 「事故事例は役に立つのか?」
第7回 「改善は安全に」
第8回 「未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える」
第9回 「震災で考えたこと:事故からは成功体験も学びたい」
第10回 「モラルはなぜ生まれたのか」
第11回 「埋もれてしまった報道情報を知りたい」
第12回 「災害の記憶をどう語り継げばよいのだろう」
第13回 「ほめるか しかるか」
第14回 「社長と安全」
第15回 「炭鉱事故と救護隊」

若倉 正英 / Masahide WAKAKURA

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 客員研究員
安全工学会保安力向上センター・センター長

産総研での事故分析や保安力の評価などに従事。モットーは、”遊びと仕事の両立”。