化学安全と難波先生【産業保安インサイド
第1回】by 若倉正英

さんぽコラム 産業保安インサイド 第1回/全15回
化学安全と難波先生
若倉正英

投稿日:2009年06月30日|更新日:2017年06月15日 10時00分

 難波桂芳先生(東大名誉教授)は安全工学という言葉が日本に根付いた功労者のお一人である。先生がもっとも熱意を持っておられるのが事故情報の活用である。私が初めてお目にかかったのは,安全化学に足を踏み入れたばかりの,30年ほど前だった。そのときに,「私はずっと会社の人たちに“事故に学べ”と説いてきたのだが,最近は“事故に学ぶな”と言っているんだよ」言われたのがずっと記憶に残っていた。それから,10年以上たって,“再び事故に学べ”と主張されるようになった。

 “事故に学べ”とおっしゃられていた1960年代,化学品を扱う工場では硝酸アンモニウムのような爆発物や,ノルマルヘキサンのような可燃物が甚大な死傷事故を引き起こしていた。その後,危険物による単純な重大災害は減少し始め,反応暴走のような複雑な化学事故が増加し始め,危険性予測の重要性が求められるようになってきた。そこから,技術導入の時代にあった化学産業に対して“事故に学ぶな”とのコメントをされたのだろう。

 “再び事故に学べ”・・・1990年代になると日本の化学プロセス創世紀の,事故を経験した人たちが現場を離れ,1950-1960年代に事故原因となった物質の,安易な取り扱いが事故の原因となることが目立つようになる。

 難波先生の熱意が経団連を動かして基金が集まり,災害情報センターの創立となった。

 そして今,化学事故の発生要因は複雑になっている。物質の危険性評価やプロセス安全技術はかなり向上した。その反面,プロセスのリスクを熟知したベテランの引退や,設備のブラックボックス化,作業の下請け化などに伴って,ヒューマンファクター要因の重要性が指摘されている。プロセスリスクにおける組織要因や人的要因を抽出するために,事故の詳細分析(根本原因分析など)が評価されている。

 化学安全に関する状況は大きく変わってきたが,難波先生のライフワークであった,事故事例がいまだに安全の基本であることは変わっていないといっていいだろう。

※このコラムは2012-2013年にリレーショナル化学災害データベース(RISCAD)サイトにて掲載されたコラムを再掲したものです(コラム内の情報は掲載当時のものです)。

さんぽコラム 産業保安インサイド 全15回

▶第1回 「化学安全と難波先生」
第2回 「産業における安全文化」
第3回 「災害報道と原因の探求」
第4回 「化学安全における経営層の役割」
第5回 「えっ!しらないの?」
第6回 「事故事例は役に立つのか?」
第7回 「改善は安全に」
第8回 「未曾有の大災害 マスコミ報道と自分たちの役割を考える」
第9回 「震災で考えたこと:事故からは成功体験も学びたい」
第10回 「モラルはなぜ生まれたのか」
第11回 「埋もれてしまった報道情報を知りたい」
第12回 「災害の記憶をどう語り継げばよいのだろう」
第13回 「ほめるか しかるか」
第14回 「社長と安全」
第15回 「炭鉱事故と救護隊」

若倉 正英 / Masahide WAKAKURA

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 客員研究員
安全工学会保安力向上センター・センター長

産総研での事故分析や保安力の評価などに従事。モットーは、”遊びと仕事の両立”。